2010年08月24日
韓国併合条約100年
一昨日、当時日本が侵略・圧殺により一方的に押し付けた併合条約から100年の日を迎えました。
私は3年前の8月15日、日本が侵略戦争へ向かう時代それに抗する朝鮮人を捕らえ、拷問・処刑するための刑務所(今は歴史館として整備されている)―西大門刑務所にいました。
そこでは、監獄や死刑場などが当時の様子をそのまま見ることができました。
地下女性監獄では「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれ独立運動の先頭にたった柳寛順(ユ・グァンスン)が17歳の若さで拷問によって命を奪われました。彼女は背が高かったため、低い天井にまともにたつこともできない姿勢をずっと強いられた末拷問で命を奪われたそうです。
私が今も忘れられないのは死刑場の横にある大きなポプラの木です。
今から死刑場に送られる人たちが、父・母・家族のことを思いすがりつき泣いた木だと聞きました。木を前に立っているとその様子が迫って来るようでした。
今も木の姿とその感覚を思い出します。
元従軍慰安婦の人たちが暮らすナヌムの家にも行きました。
李玉善(い・おくそん)ハルモニともお話しました。元従軍慰安婦の方の高齢化がすすんでおり、なくなられる間際に「日本政府は謝ったか」と聞かれたハルモニもおられたと聞きました。
人生の尊厳を取り戻して命を終えることができるかどうかというところにまで今来ています。
「植民地支配の実態を両国の共通の共通認識にすることが、日韓友好の発展にとって大事」併合100年に当たり在日本大韓民国民団であいさつした志位委員長の言葉です。
急がれます。
私は3年前の8月15日、日本が侵略戦争へ向かう時代それに抗する朝鮮人を捕らえ、拷問・処刑するための刑務所(今は歴史館として整備されている)―西大門刑務所にいました。
そこでは、監獄や死刑場などが当時の様子をそのまま見ることができました。
地下女性監獄では「韓国のジャンヌダルク」と呼ばれ独立運動の先頭にたった柳寛順(ユ・グァンスン)が17歳の若さで拷問によって命を奪われました。彼女は背が高かったため、低い天井にまともにたつこともできない姿勢をずっと強いられた末拷問で命を奪われたそうです。
私が今も忘れられないのは死刑場の横にある大きなポプラの木です。
今から死刑場に送られる人たちが、父・母・家族のことを思いすがりつき泣いた木だと聞きました。木を前に立っているとその様子が迫って来るようでした。
今も木の姿とその感覚を思い出します。
元従軍慰安婦の人たちが暮らすナヌムの家にも行きました。
李玉善(い・おくそん)ハルモニともお話しました。元従軍慰安婦の方の高齢化がすすんでおり、なくなられる間際に「日本政府は謝ったか」と聞かれたハルモニもおられたと聞きました。
人生の尊厳を取り戻して命を終えることができるかどうかというところにまで今来ています。
「植民地支配の実態を両国の共通の共通認識にすることが、日韓友好の発展にとって大事」併合100年に当たり在日本大韓民国民団であいさつした志位委員長の言葉です。
急がれます。